本とご飯の記録

食と本に纏わることを主に日々のありのままの私。続く限り徒然に。

魂の綺麗な人

私の母親は、魂の綺麗な人と汚い人という表現を昔からよくしていた。


母親の中では、「魂=心根」的な意識で言っていたのだと思う。



彼女は魂が綺麗だと自負していて
実際67歳になった今もやけに純粋で無垢なところがあり、まるで少女のようである。


私もそんな彼女の教えを受けてきたから、魂や心根の美しい人と過ごしたいと幼い頃からなんとなく思っていた。



けれど、最近気づいてしまったんだ。




魂が綺麗ってなんだ??



生まれ持った魂を透明の水晶だとしよう。

透き通った美しい水晶だったとしても、そこにベタベタのノリやテープ、泥でもいい。
そういうものがこびりついてしまったら?
いくら綺麗に洗ってもネチャネチャが残ったり、泥が固まってたり、サインペンで塗られてるかもしれない。


くすんだ濁ったような水晶でも毎日毎日手間暇かけて磨いたら、くすんではいても濁っていてもその水晶なりの美しさは出るように思う。



としたらば
私の母親が提唱していた魂の綺麗な人とは何だったんだろう。

彼女の自負はなんだったんだろう?



魂が汚れるのは俗社会で生きている中で皆が感じることだと思う。
ずるいこと
せこいこと
欲にまみれること
権力に溺れること
色々あるけれど、それもその人が色んなことを経験して手に入れたもの。


一生懸命生きて、選んだ結果だと思うんですよね。



私は魂の綺麗な人とか汚い人とかそういう表現は好まない。


その人の経験値だと思うし、そういう幼稚な表現をしていた自分を恥ずかしく思ってしまった。